批評と当事者性の交差、批評と責任の交差、それらの葛藤
ニューヨークへの滞在がもうすぐ終わりに近づいている。少し前に、急にサッと1時間大雨が訪れ、雷雨が轟いた日があった。それよりさらに少し前に、連日イエバエが10匹以上、部屋のなかに出現したのも蒸し暑い日が数日続いた後だった。夏のせいかも、と思い、今週は少しハエの出現に怯えていたけど毎日毎日数匹ずつ駆除して以降現れてないから、6月頭に窓枠に設置したエアコンの隙間から侵入したのかもしれない。ニューヨークで仲良くなった友人が、以前ハエを駆除しても駆除しても出てくるから、業者を呼んで調べたところ、室内の小上がりの板を取ってみたところネズミの死骸があり、そのためだったのではないか、と聞かせてくれた。それで、家主から紹介されたアパートの別住人に手伝ってもらって、壁際の冷蔵庫を動かしたところ、裏にわずかな隙間があった。3月から何度か俊敏に動く影を見かけ、最後に見かけたときにはっきりそれがネズミだったので超音波駆除器とワナを仕掛けたけど、この穴から室内に入ったのだろうと思った。ゴキブリはまだ受け入れられるけど、ネズミは本当に怖い。
今回は、1ヶ月前に財団のスタッフとフェローに向けて、途中経過を報告するミーティングで書いたテキストを、日本語にして公開する。
このテキストは3回前に配信したレターでもふれた、厳格なユダヤ教の家族・コミュニティに生まれ育ち、トランスジェンダーであることからその場にいられなくなった実際のアビー・スタインの自伝を原作にした舞台をめぐる話からの影響も大きい。作品への評価より前に、トランスジェンダーの性別移行を単純化するような、偏見や差別に加担する言い回しと、複数の周縁性(宗教とそれに関わるコミュニティ、ジェンダーのありよう)という社会的可視性も物語のテーマとされる機会も乏しい存在に対するインターセクショナリティの意識をふまえない「(偏っている可能性の高い)評価」への批判を、素朴な言葉でネット上に公に短文で書いていた、フェミニズムをひとつのテーマとすると公言していた日本の演劇関係者への批判も大きく扱っている。だから、日本はもちろん、アメリカ文化圏にも存在する、「進歩的」とされる空間のにも排除の論理が内包されていることを可視化しようする試みでもある、と読み返して思った。もともとニューヨークを訪れる動機になった点でもある、マイノリティであるがゆえの倫理的自省と、主流の美学・言語・構造における排除について考える、作家やアーティストたちとの接点も経由した。
日本語にするにあたって、英語では補足しきれていない部分を加筆・修正もしている。また、このレターの最後に、このテキストの読み上げをめぐる葛藤にも少しふれています。
(これを書くのにかなり労力をかけたので、価値があると考えられた人は、ぜひ1ヶ月だけでも有料購読にご登録ください)
作家としてのわたしの仕事は長いあいだ、トランスジェンダーや、(特にトランスした)ジェンダークィア、ノンバイナリーの個人とその人生の複雑さを、単純化された物語に還元することなく日本語で表現する方法、そして支配的な制度や言説からしばしば排除される人々の生活に注意を向ける方法に焦点を当ててきた。
同時に、人権運動から生まれた言語 ―特に英語を基盤とし、アメリカの特定の政治的・文化的な歴史の文脈に根ざした言語― を使って自分のアイデンティティを形成するプロセスを歩むことがいかに困難かも、ここ数年で強く実感するようになった。日本で生まれ育ったわたしは、これらの言葉(トランスやクイアなど)を借用しつつも疑問を呈し、それらがわたし自身の文脈に沿って持つことになった限界や違和感を認識しながら、自分の経験を表現する方法を模索している自分を見出そうとしている。
わたしのニューヨークでの滞在は、歴史的に周縁に置かれてきた人々 ―人種、ジェンダー・アイデンティティ、階級、移民としての地位によって― が、芸術的訓練、創造的表現の機会、文化的領域での承認にどのようにしてアクセスするのかの探求を中心としてきた。こうした人々を周縁から文化的生産の中心へと移行させる実践を注意深く見つめたかったのだった。
幅広いテキスト、現代美術の作品、映画、舞台にふれるなかで ―特にトランスやジェンダークィア、ノンバイナリーのクリエイターから生まれたもの、または交差的経験を扱ったものに― わたしは何度も何度も深く心を動かされた。これらの出会いは、わたし自身の疎外感や闘いの経験と共鳴し、同時に芸術に向き合うフレームワークを再考するような営みとしてわたしに迫った。
そのような瞬間の一つが、アーティストでファッションデザイナーのゴーゴー・グラハムの個展『Do I Make You Proud?』を訪れたときだった。グラハムはトランスジェンダーの女性でもある。グラハムは、ミックスルーツを持ち、母親は白人、父親は日系アメリカ人である。父方の祖父は第二次世界大戦中に従軍し、アメリカの収容所に収監され、そこで祖母と出会ったのだという。グラハムは作品を通じ、自身の作品を通じて、アメリカの資本主義競争とその残酷な「例外の論理」を批判している。その展示は、自身の背景の複雑さだけでなく、芸術空間において誰が可視化され、称賛されることを許されるのかという、より広い問題についても言及しているように見えた。
また、視覚芸術のアーティストで作家のトルマリンによる回想録『Marsha』のブックローンチに際したパネルトークへの参加も印象深い。この本は、1969年のストーン・ウォールの蜂起で最初に反撃した一人と言われる、ブラックのトランスジェンダーで、アクティビストとして福祉や人権運動も主導したマーシャ・P・ジョンソンの人生を記録したものだ。写真、映画、アーカイヴの制作にわたるトルマリンの仕事は、中産階級以上の白人でシスジェンダー男性であるゲイに支配された主流の(LGBTの)物語からしばしば除外される、ブラックやブラウンのトランスの人々の消去された歴史を回復することに貢献している。『Marsha』は、体系的に周縁化されてきた歴史を取り戻そうとする、ジェンダーやセクシュアリティにおいて弱い立場に置かれ、社会階層や経済性などにおいても社会的に不遇であった* アーティストたちによる長い努力の一部だろう。
* 註:英語でのスピーチの際にはこの箇所を“queer”と表現
もう一つの記憶に残る経験は、写真家キャリー・メイ・ウィームスが企画し、MoMAとシラキュース大学が共催したシンポジウム『Monumental Concern』への参加だった。ウィームスは何十年もの間、ブラックの女性たちとその家族の生活にレンズを向け続け、白人男性中心の芸術・文化の世界に対する強力な視覚的挑戦を提供してきた。ウィームスと短時間ながら話せたことは、ニューヨークでの滞在のハイライトだ。
また、イザベル・サンドヴァルの映画『リングワ・フランカ』をニューヨークのアップステートで観る機会もあった。フィリピンからアメリカに移住した映画監督のサンドヴァルも、トランスジェンダーの女性である。トランプの第二期大統領職の期間中にこの映画を再鑑賞したことで、ICEの監視下で絶えず脅威にさらされながら、ブルックリンのコニーアイランドに住む、書類を持たないフィリピン系トランス女性の描写に、鋭い政治的緊迫感が加わった。
映画を観る少し前に、わたしは個人フェローであるアーチーが案内する、コニーアイランドのウォーキングツアーに参加していた。ツアーのあいだ、コニーアイランドの層をなす歴史の痕跡に遭遇した。『リングワ・フランカ』を観ながら、サンドヴァルが描こうとする書類を持たないフィリピン系コミュニティの不可視性について考えるだけでなく、公共空間と文化的物語の両方における周縁化された身体―特にトランスの身体―の客体化と統制をめぐる会話と批評を思い起こしていた。サンドヴァルがコニーアイランドを舞台に選んだのは、見世物と植民地的展示を行ってきたニューヨークの歴史が刻印された場所として、サンドヴァルの語ろうとする物語を枠づけるためだったのではないかと考えた。
同時に、いわゆる「主流」の限界にも遭遇した。西洋中心主義的な白人性、シスジェンダー規範、異性愛主義、中産階級的な感性に根ざした価値体系に立ち戻ってしまうことが、善意のリベラルなアート空間であってさえ、しばしばあることを目の当たりにしたのだった。ジェンダーとセクシュアリティのマイノリティの人々、特にトランスジェンダーの人々によって創作された作品や、複雑で文化的に特殊な物語を扱った作品が、「親しみやすさ」「明瞭さ」「技術的洗練度」といった基準で判断されることがあることを思い知らされたのだ。
表面的には、これらの「親しみやすさ」「明瞭さ」「技術的洗練度」という評価軸は、中立的な指標のように見える。しかし、本当にそうなのか?
多くの場合、これらの評価が述べられる際、不文の規範が反映されている。すなわち、白人中産階級のシスジェンダー異性愛男性の嗜好/志向と期待によって形成された規範に基づいていることがほとんどと言える。その枠組みに合わないものは、容易く、「混乱している」「アクセスしにくい」「洗練されていない」とラベルを貼られる可能性がある。しかし、こういった価値判断はしばしば、その基準を説明するうえで、構造的不平等の視点を欠いている。
文化的領域への完全な参加から、歴史的に排除されてきた多くの周縁化されたコミュニティが自分たちの経験、歴史、価値を表現するための新しい形式、方法、語彙を発展させる過程にまだある、という事実を見落としている。これらの努力を「技術的に劣っている」として退けることは、中立的な評価ではなく、他の手段による排除の継続と言える。
この経験は、わたしたちが文化・芸術の作品をどのように解釈し受容するかだけでなく、「誰が語ることを許され、誰が聞かれ、誰が取り残されるか」を形成するより広い構造について考える貴重な機会となった。そして重要なことに、これは日本だけの問題ではない。アメリカのいわゆる進歩的でリベラルな空間においてさえ、包摂の言語がそれ自体の排除の形態や無意識の暴力を運ぶことが、いまだに根深く存在する。
ゴーゴー・グラハムとの意義深い、しかしカジュアルな会話ができた。性別を移行する(トランス)という経験やアイデンティティの形成の複雑さはもちろん、さらに、保守的な宗教コミュニティや少数派の民族的コミュニティにルーツを持つことによって、これらがどのように形作られるか、という可視性の著しく乏しいテーマを反映した作品を見ることが、いまだにいかに稀であるかについて話した。
このようなマイノリティ性の交差する人々の現実は、しばしばなじみのある物語に還元するには複雑すぎるため、主流の芸術・文化において大きく過小評価されたままにある。このような作品が作られたとき、それらは、まだ語る言葉がない/公表することのできない沈黙を強いられている人々から求められる物語と評価されたり、あるいは、いまだ発展している段階にある、(これまでに存在しなかったため)新しく必要とされる芸術的語彙の一部として見られたりするのではなく、「ストレートすぎる」「直接的すぎる」として退けられることが往々にしてある。わたしとグラハムは、トランスの人々がそもそも、自分たちのためには作られていない“基準”に照らして判断されることなく、なにかを探求し、失敗し、実験する、マジョリティと同じような空間・機会を与えられることがいかに稀であるかについて話したのだった。
ニューヨークのように多様な人々が暮らすといわれる都市においてさえ、差別に反対する声を上げる人々のあいだにおいてさえ、多くの人々がいまだに自分たちの権力と特権に対処するための言語、あるいは自己認識を欠いている。
そして社会的に周縁化されたアーティストにとって、これは何度も経験したり見たりしてきたダブル・バインドにつながる。すなわち、もし自分が語らなければ、不可視のままにされる、しかし、もし語れば支配的グループのための教育者に還元される危険を冒すことになる、という二重の拘束だ。
またわたしは、周囲の人々が『ハリー・ポッター』について呼吸するように言及することがいかに頻繁にあるかに、しばしば驚かされた。かれらは、その作品から、ある差別の現象やヘイトスピーチがもたらされ、特定の人々の一部にとって不快感やストレスを引き起こす可能性があることに気づいてないようだった。マジョリティの多くにとって、この作品についての言及は、「中立的」あるいは「なじみ深い・懐かしいもの」と感じられるかもしれないが、(原作者によるヘイトスピーチや例外化の言説によって)他者化されてきた人々にとっては非常に異なる重みを持つ可能性がある。
それを指摘すべきかどうか、あるいはどのように指摘すべきか、またはわたしの不快感の背景にある、より広い文脈を説明すべきかどうか、これらを決めることの困難を日常でよく感じた。同時に、このような瞬間は、わたしがそもそもなぜこのフェローシップに応募したのかを思い出させてくれた。さりげない暴力によって形作られた世界でわたしたちがどのように生き延びるか、そしてそれにどのように応答するかについて深く考えるためだ。
トニ・モリスンが書いたように、「もしわたしたちが自分たちの物語を語らなければ、誰が語ってくれるのか?」、そしてオードリ・ロードが何度もわたしたちのなかで思い起こるあの言葉「あなたの沈黙はあなたを守ってくれない」や、そしてオーシャン・ヴオンの詩もまた、痛みのなかで言葉を見つける行為それ自体が抵抗の一形態であることを教えてくれる。
このフェローシップの期間中、ヴィエット・タン・ウェンの最新の著作『To Save and To Destroy』が出版された。そのなかでウェンは、他者化された立場から語る作家に降りかかる誘惑について―特に可視性と生存、個性と共犯性のあいだの緊張について―考察している。ウェンはこう書いている;
「群れから離れることは、すでに存在する主人と植民者の戦略を自分自身の内に内在化することだ……」
この考察は、わたしが格闘してきた倫理的複雑さについて、深く共鳴した。すなわち、我々はどのように物語を語るか? 誰が語ることを許されるか? そしてどのような代償を払うのか?
わたしが仕事を続けるなかで、これらの洞察を携えていきたいと思う。ニューヨークからの教訓としてだけでなく、わたしたちがどのように物語を語るか、誰がそれを語ることを許されるか、そしてわたしたちがどのように聞くことを学ぶかについての継続的な問いとして。
これらのテキストを読みながら、何度かわたしは涙を流した。それは、このテキストを書き上げるのに長い時間と自己探求と倫理的な内省がくりかえし必要だったこと、そこで言及する必要があったアーティストたちやそうではない人々との出会い、長年の主に日本語文化圏での疎外感を言語化できた達成感、などに主に由来する。にもかかわらず、ここでわたしが批判の対象とした一部の人から最近、「わたしが批判対象に対して怒っている(upset)」と解釈されても仕方がない、という意味合いの言葉を投げかけられ、衝撃を受けた。ある言葉や表現を使ううえで起こる政治性に鈍感でいられる問題の指摘について、なにも学ぼうとせず、知的貢献を試みようとしたのに、感情の問題にすり替えている、と理解した。この反応はまさに、「もし語れば支配的グループのための教育者に還元される危険を冒すことになる」という問題のパターンだと思った。議論の本質から目を逸らすのは、なぜなのか? それが今のわたしの新しい/関連する問いです。
・ミーティングで読み上げた英文
My work as a writer has long focused on how to express the complexities of individual transgender and genderqueer or nonbinary person and their life in the Japanese language —without reducing them to simplified narratives— and how to bring attention to the lives of people often excluded from dominant institutions and discourses.
At the same time, I’ve come to realize how difficult it is to navigate the process of shaping my identity using language born out of human rights movements—especially those rooted in English, and in the specific political and cultural context of the United States.
Having been born and raised in Japan, I find myself both drawing on and questioning these terms, searching for ways to express my experience while remaining aware of the limitations and dissonances they carry in my own context.
During my stay in New York, I’ve been exploring how people historically placed at the margins —due to race, gender identity, class, or immigration status— gain access to artistic training, opportunities for creative expression, and recognition in the cultural sphere.
I’ve been looking closely at practices that shift these people from the periphery to the center of cultural production.
Engaging with a wide range of texts, artworks, films, and stage performances—particularly those emerging from trans and genderqueer or nonbinary creators, or those addressing intersectional experiences—I often found myself deeply moved.
These encounters have resonated with my own experiences of alienation and struggle, and at the same time, have challenged me to reconsider the frameworks through which we engage with art.
One such moment came when I visited *Do I Make You Proud?*, a solo exhibition by artist and fashion designer Gogo Graham, who is a transgender woman. Graham is of mixed heritage—her mother is white and father is Japanese American, and her paternal grandfather served in World War II and was incarcerated in a U.S. internment camp, and he met her grandmother there.
She uses her work to critique American capitalist competition and its brutal logic of exception.
Her exhibition addressed not only the complexity of her background but also broader questions about who is allowed to be visible and celebrated in artistic spaces.
I also had the chance to attend the book launch & panel of *Marsha*, a memoir by artist and filmmaker Tourmaline, which recounts the life of Marsha P. Johnson—a Black trans activist often credited with being one of the first to fight back during the Stonewall riot, 1969.
Tourmaline's work, spanning photography, film, and archival research, helps recover the erased histories of Black and brown trans people—often left out of mainstream narratives dominated by middle-class, cisgender, white gay men.
*Marsha* is part of a long effort by queer artists to reclaim a history that has been systematically marginalized.
Another memorable experience was attending *Monumental Concern*, a symposium organized by photographer Carrie Mae Weems and co-hosted by MoMA and Syracuse University.
Weems has spent decades focusing her lens on the lives of Black women and families—offering a powerful visual challenge to the white male-centered art world.
Being able to briefly speak with her was a highlight of my residency in NY.
I also had the chance to see *Lingua Franca*, a film by Isabel Sandoval—a Filipina American filmmaker, who is trans woman too—at a theater in upstate New York.
Watching the film during the second Presidency of Trump added a sharp political urgency to its portrayal of an undocumented Filipina trans woman living in Coney Island under constant threat of ICE surveillance.
Before watching the film, I had joined a walking tour of Coney Island, led by Archie, who is an individual fellow. During the tour, we encountered traces of Coney Island’s layered history.
Watching Lingua Franca afterwards, I found myself reflecting not only on the invisibility of undocumented Filipinx communities that Sandoval seeks to portray, but also recalling conversations and critiques around the objectification and control of marginalized bodies—particularly trans bodies—in both public space and cultural narratives.
It made me wonder whether Sandoval chose Coney Island deliberately, as a place marked by histories of spectacle and colonial display, to frame her story.
At the same time, I also encountered the limitations of the so-called “mainstream.”
I saw how even well-intentioned liberal art spaces often fall back on value systems rooted in western centric whiteness, cis-normativity, heterosexism, and middle-class sensibilities.
I found that works created by artists who are gender and sexual minority people, especially who are transgender, or those dealing with complex or culturally specific narratives, were sometimes judged based on criteria like “relatability,” “clarity,” or “technical polish.”
On the surface, these seem like neutral metrics. But are they really?
In many cases, they reflect an unspoken norm—one shaped by the tastes and expectations of white, middle-class, cisgender, heterosexual men.
Anything that doesn’t fit into that frame can be labeled as confusing, inaccessible, or unrefined.
But these judgments often fail to account for structural inequities.
They overlook the fact that many marginalized communities—historically excluded from full participation in the cultural sphere—are still in the process of developing new forms, methods, and vocabularies to represent their own experiences, histories, and values.
To dismiss these efforts as “technically inferior” is not a neutral evaluation, but a continuation of exclusion by other means.
This experience has been a valuable opportunity to reflect not only on how we interpret and receive artworks, but also on the broader structures that shape who gets to speak, who gets heard, and who is left out. And importantly, this is not only a “Japanese problem.” Even in so-called progressive, liberal spaces in the U.S., the language of inclusion can sometimes carry its own forms of exclusion or unconscious violence.
I had a meaningful conversation with Gogo Graham about how rare it still is to see works that reflect not only the complexity of gender transition or identity formation, but also how these are shaped by one’s roots in conservative religious or minoritized ethnic communities.
Such intersecting realities are often too complex to be reduced to familiar narratives, and remain largely underrepresented in mainstream art and culture.
When such works are created, they are often dismissed as “obvious” or “too direct,” rather than seen as addressing a still-silenced need, or as part of a developing and necessary artistic vocabulary.
We talked about how trans people are often not given the same space to explore, fail, or experiment without being judged against standards that weren’t made for them in the first place.
Even in a city as diverse as New York, and even among those who speak out against discrimination, many people still lack the language—or the self-awareness—to address power and privilege.
And for marginalized artists, this leads to a familiar double bind: if we don’t speak, we remain invisible. But if we do speak, we risk being reduced to educators for the dominant group.
I was often struck by how frequently people around me would casually bring up Harry Potter—unaware of how this could cause discomfort or stress for some of us.
For many in the majority, such references may feel neutral or nostalgic, but they can carry a very different weight for others.
I often felt the difficulty of deciding whether—or how—to point this out, or to explain the broader context behind my discomfort.
At the same time, moments like this reminded me why I had applied to this fellowship in the first place: to think deeply about how we survive in a world shaped by casual violence, and how we respond to it.
As Toni Morrison wrote, “If we don’t tell our stories, who will?”
And as Audre Lorde reminded us, “Our silence will not protect us.”
Ocean Vuong’s poetry, too, teaches us that the act of finding language amid pain is itself a form of resistance.
During my time in this fellowship, Viet Thanh Nguyen’s newest book, To Save and To Destroy, was released.
In it, he reflects on the temptations that come with being a writer who speaks from the position of the other
—particularly the tension between visibility and survival, between individuality and complicity.
As he writes, “Separating from the herd is to internalize in oneself the already existing strategy of master and colonizer...”
This reflection resonated deeply with the ethical complexities I’ve grappled with—about how we tell stories, who gets to speak, and at what cost.
As I continue my work, I hope to carry these insights with me—not just as lessons from New York, but as ongoing questions about how we tell stories, who gets to tell them, and how we learn to listen.
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