シスジェンダーの社会で働くことについて
少し前からバイトを始めた。
ニューヨークから東京に戻る前、文章を書く仕事を始めて十年以上のあいだにも、ゴールデン街で週一店番をやったり、知り合いの仕事を手伝ったりしたこともあるけど、いわゆる「面接を受ける」「採用通知を待つ」みたいなのは15年ぶりくらいだと思う。
それで、まだ仕事にも、定期的に朝出かける日が週に何回かある生活にも慣れていないというのもあって、ここでテキストを書く労力を割けなくなっていた。
円安や物価高、消費税の圧迫とか、いろんなことで、これはもう無理だと思って働くことにしたのだった。
ニューヨークでとても仲良くなった、メディア従事者だったけど日本の仕事を一旦やめて(とはいえ時々日本に戻って働いている)移住した友達が、わたしの大好きな服屋を紹介したところそこで働くことになった。もちろん、わたしと友人とでは、正規雇用を受けたことがないか/あるかで差があると思うものの、その身軽さを見習おうと思ったのもある。
なんというか、「既存の出版・メディア産業のなかでフリーランスで文章を書いて(芸術などを作り出して)生計を立てる」ということが成立するのが、50年くらい「それなりに成立する」が極めて稀な時間だったんじゃないか、という気がする。
研究したり調べたりしているわけじゃないし、生きていない時間も含めて書いているから、適当な雑感ですが。
ニューヨーク滞在中にもお世話になった、東京で美術関連の仕事をし、アメリカやヨーロッパとも仕事のつながりのあるて知人から、来年秋にボストンで行われる予定の日本関連の展示について聞き、その時期にまた渡航したい、そのための貯金という意図もあった。
ただし、ChatGPT含め、複数のAIに相談したところ、まず生活防衛ラインの貯蓄をしろとか借金を返済しろとか言われていて、そうですね、確かに利子がけっこうあるのにアメリカに行ってる場合かという気がするし、このまま円安がさらに進めば、1ヶ月の滞在に50万円以上が必要になるかもしれず、行けない可能性も考えているけれど。
それで、働きはじめて、トランスとしてシスジェンダーの一般的な社会でひさしぶりに働いてみて(文学、芸術、メディア産業はかなり特殊な“社会”だと思う)いろいろと感じていること、しかしその内容がとてもセンシティブで、あんまり不特定多数に読まれたくないので、有料の読者向けに書こうと思う。
ちょっと前に、高市早苗がG20サミットで、フランスのエマニュエル・マクロン大統領と対面して話している様子を指して、「女性総理が女性性をこういう風に使うのはグロテスク」といった主旨の投稿がX(旧Twitter)でバズっていたとき感じた違和感とも通じる話です。
わたしもラジオとか公の場で話してて、
「“なのぉ〜”って猫なで声で話してて、女性はそんな甘ったるい話し方を外でできない。そんな話し方したらナメられるから意識的にきちんと話す」
みたいに揶揄された経験があった。
2018年以降の反トランス言説の、SNSを中心とした広まりもあって、なんとか対抗言説を文化・芸術、エンタメに関する話を通して展開できないかと思ってラジオに出るなどしていたのだけど、2021年には、DJ Oasisとか反トランス言説をトランピアン的文脈で広げているアルファアカウントとかの投稿から、自分個人のトランス性も標的化され、不特定多数が聞くメディアで話すのが怖くなったことがあった。
だから、主に左派的なイデオロギーから「辞めてほしい」という意図から高市早苗の振る舞いを揶揄する発信に、引き裂かれそうな気持ちになって、苦痛だった。ちょっと次元が違うけど、安倍晋三が、政治家として否定する文脈で潰瘍性大腸炎をいじられた感じと通じてる気がしている。
もちろん、ジェンダー規範から女性が特に振る舞いや服装など容姿が評価されやすく、仕事など機会にも影響が及ぶ問題というのは、それはそれとして大きな課題で、首相の振る舞いが周囲に影響する、という指摘は理解する。わたしも「高い声の“女性”」を前にしたり、囲まれたりしていると、自分のジェンダー表現を審査されている気がしたり、惨めな気持ちになったりすることもあるから、言いたいこともわからなくもない。
ただ、容姿で判断され、舐められるようにだったり、舐められないようにだったり、演出がある程度要請される特定の属性の人たちだからこそ、規範に従う/従わないを、意識的レベルだけじゃなく無意識レベルでも影響を受けてしまう、ある種の「ひとりの人間としての人間らしい振る舞い」を個人に還元して責められるという図式にはどうしても違和感を持ってしまう。
特に、わたしの世代でもそうだけど、高市の世代はよりそういった要請が強かったのではないか、と思ってしまう。
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