あかはるが閉店してなくて良かった
先日、池袋の麻辣誘惑大宝でごはんを食べた帰りの電車で友達が、新しくできた東急歌舞伎町タワーがヤバいと言うので、終電間際に行った。新宿東宝ビルの西にある広場に面したエスカレーターで登ってすぐの祭りをテーマにしたという2階のフードコートは、提灯、屋台、葺き降ろした城郭の屋根といったモチーフに色とりどりのネオンで装飾されていて、目も当てられない。
東口のアルタのすぐそば、歌舞伎町に続く石畳沿いに長年あった果物屋が閉店してできた提灯のぶらさがった屋台苑や、東口広場から南に行ったアインズ&トルペ(野村不動産が運営しているミラザ新宿の1階に位置するこの場所には、2015年の年明けに急に閉店して日本から撤退したイギリスのファストファッションブランドTOPSHOPの店があったのだった、と先日シートマスクを買いに行ったとき急に思い出した)の東の真横にあった銀座ライオンがつぶれてできた、歌舞伎座を模したような外観に仰々しい名前の新宿龍乃都飲食街といった、ここ一年で新宿に同じようなフードコートと何が違うのだろうかわからないけど、どこにも入る気がしない。
東急歌舞伎町タワーの3階はゲームセンター。オリエンタルな「日本」とゲーム・アニメ文化を押し出して、観光客を招きたいのは理解できた。
友達がヤバいと言ったのは、それらだけでなく、2階のトイレだった。カタカナで「ジェンダーレストイレ」と書かれている下に、「All Gender Toilet」とある。確かにこれは妙だな、と思った。
2000年代のファッション誌のコピーに使われていた頃から、「ジェンダーレス」という言葉に違和感を持ってきた。その言葉がある特定の層に響いているのはわかる。規範的な“女らしさ”、つまり異性愛文脈で“男性にモテる”ファッションとされる保守的な女性の服装や髪型/メイクの系統としての赤文字系に対して、モテではなく自己満足や自分が期待を優先する、というかそのコミュニティにおけるモテはそれはそれで存在していたと思うけど、規範的な“女らしさ”ではない服装、髪型、メイクである青文字系の中でも、女性と見なされたり扱われたり、規範を押しつけられることを嫌がる層に「ジェンダーレス」という言葉がなんらかのかたちでフィットし、さらに、筋肉質ではなく細身、髪型や服装にも気を配って、場合によって肌質や眉毛を整えたりメイクをしたりもする、90年代のフェミ男の系譜かつ韓国のKポップ文化におけるメイクする男性アイドルを踏襲する流れが合流したのが、日本の現在の「ジェンダーレス」だと思う。
“レス”のニュアンスは、英語だとジェンダー・フルイド(gender fluid;ジェンダー表現やアイデンティティに関する流動性)やジェンダー・ニュートラルのほうが近いだろうから、「All Gender Toilet」にジェンダーレスを当てるのはおかしいと思った。
そもそも、ファッションにおいて、規範的な男性性と女性性がごちゃ混ぜになっていたり「どちらかわからない」というレベルだったりするような、ジェンダーがレスされるという表現なんてほぼないし、規範的な女性らしいファッションーー日本のマジョリティ層である東アジアに多い黒髪を、ロングにしていて、ときにコテ(すごい俗語ですね)で巻いていて、パフスリーブのトップスを着たりスカートを穿いたりピンクや白やベージュ系など発色の強くないワンピースを着たりするようなーーではない、たとえば青文字系の系譜のファッションをする人々においても、多くのヘテロセクシュアルな女性たちは、女性であること自体をレスしようと思ってないし、単に「女性だけど男性向けとされている服や服飾雑貨を身にまとっている/一部取り入れている/そうした傾向にあるウィメンズを着用している」というのがほとんどだろう。
なにがレスや、とずっと思ってる。でもメディアで流通すると;お上から言葉が降りてくると、なんとなくイメージが定着してなんとなく使う傾向に、日本はあると思う。
わたしはトイレにおける安全、とりわけ性暴力加害の実態やその対策については詳しくないのでさておくけれど(この話題をツイッターで出すと、特定のジェンダーのありようの人々が女性トイレを使わない、女性トイレは女性トイレとして原理的に存在しないと許さない、という層から攻撃される傾向にあるので特に書きたくない;もちろん、肌感覚として被害を受ける懸念から不安や警戒を抱くこと自体を否定する意味ではなく、その不安や警戒心を特定の属性の人々と紐づけたり、紐づけかねない言い回しを、友達とのクローズドな会話ではない場所ですること、個人の感想であっても、オープンにされる以上ネットの拡散力によってその発言がどこに乱反射するかわからない状況ですることの危うさには気をつけるのが望ましいというニュアンスで、禁止する権限なんて、プラットフォームの運営側以外の、わたしにも誰にもない)。
こうやって、なんとなくのイメージとなんとなくの言葉が定着して、実際にそのインフラを必要としている人々や、暫定的であってもそのインフラ整備や改善の試みによって、なんらかのハレーションがあるとされている状況を取りなそうとすることで、一時的だったりかろうじてだったりであっても守られる弱い立場の人々のニーズが取りこぼされるんじゃないかということは、懸念した。
自分がどうするかということを考えると、ああいう日常生活に必要な設備が、特定の施設や特定の範囲の街に少しでもあると楽だから、使っていくかもしれない。
ここ数年わたしにとっては、そこらへんの「男/女」に分けられたトイレを含めた設備を使うのはちょっと怖い、というモードになってきてはいる。トイレどころか、本屋、喫茶店、スーパー、映画館、美術館、駅、病院、どこにいても、ちょっと怖いという感覚は少しずつ増していて、自分のメンタルの調子も含めて、出歩くのがためらわれる日すらあるから。
そう思いながらエスカレーターを下っていると、手すりと側面のパネルのあいだにあるスペースを何かが転がり落ちていく音がした。地面にたどり着くと、そこにはペットボトルや飲料の紙パックなどがいくつか転がっていた。歌舞伎町タワーもこうやってゴミだらけになっていくならおもしろいかも、と思った。
それから友達と、古巣のゴールデン街のほうを目指して歩いていたとき、あかはるという深夜も営業しているカジュアルなイタリアンの名店を思い出し、寄ってみたら営業していたのでコロナ禍も生き延びてて良かったとホッとした。
歌舞伎町の裏路地、区役所通り、風林会館のあたり、職安通りのほうに抜けるホテル街にも好きな飲食店がいくつかあるし、わたしのおすすめガイドを作ったらどうかと友達と雑談。昨年トランスマーチの行われた新宿中央公園を囲う新宿西口〜西新宿〜初台のあたりにも好きなお店、おいしいお店はいろいろある。
生活していても仕事においても、場所にしろ、人間関係にしろ、叩いて確かめないとケガをしてしまいそうな懸念がどんどん増えている。以前は、わたしの使ってるSNSの中ではフォロワーのいちばん多いツイッターでも、どこの店に行ったとか、いつもここでコーヒーを飲んでるみたいな投稿をしたこともあって、それは自己アピールもちょっとありつつ、誰かの参考になればと思ってのアクションだったけど、もうそういうのは無理なんじゃないかなと思ってる。
タイ・バンコクでもそういうマップを作れないか、と去年ZINEを画策した。あのエリアならこういうカフェがある、あそこならあのショッピングモールに行けば何かがそろう、身重でもちょっと出かけられそうならきれいで現代的な建築のおもしろさもあってバンコクの観光感も楽しめるセントラル・エンバシーはどうか、とか、自分が初めてバンコクを訪れた理由と同じ事情で来訪する人たちに、少しでも楽しい思い出や、出歩けなくても外の世界にはなにか楽しさが見つけられると思ってもらえないかと、マップを作れないかと考えていた。けれど、金銭面でも資金繰りが難しそうだったことと、そのほかにもいろいろわたしの不手際があって、頓挫した。
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