こんにちは、作家の鈴木みのりです。
「ライター」と書かれることもありますし、自分でもそう名乗ってもきた者です。
日本語ではなんだか、「作家=本を出している人」というニュアンスだったり、小説を書く人はじめクリエイティブと認識できる仕事をしている人と、そうではない人という区分がなんとなくあり、後者に対して「ライター」とする傾向があると感じています(このへんの肩書きをどうするか問題は日本語ネット・言説空間でもう何度もされ続けてますが)。
わたしは、ライターと名乗るとき、英語のwriterを想定してきました。
;つまり、文体やレトリック、言葉の使い方などの工夫、技法によって、なんらかの出来事や考えを伝えようとする人を指しており、その表現形態は詩、小説(英語ではnovelとshort storyがありますよね)、旅行記、脚本、エッセイなどさまざまあって、ジャーナリスト的な仕事(たとえばパッと浮かぶのは、開高健の『ベトナム戦記』や高村薫の『空海』、ここ5年ほど新刊を終えてませんが角幡唯介さんの仕事なども)であっても創作的なものもある。
自分のやっている/やってきた仕事は、単に事実のみを伝えるという意味でのジャーナル;報道
(これも、新聞の内容が文化、政治、社会、経済などの面の区分けがあるので、単に政治報道だけでなく、ファッションや映画そのものや、それらの産業構造における報道も含まれていると思います)
(っていうか「社会」ってなんなんですかね? コミュニティの話? でも地域欄もあるよね? 文化や経済で社会は構成されているよね?)
の執筆の範疇や、黒子として誰かの考えや言動を伝えるための執筆をしているというより、自分がなにをどこでどう見ているかという点を常に入れている点からも、「なんらかの考え(視点)を文章によって伝えようとする」もので、なのでライター=作家という意味で名乗ってきたということです。
こういった考えをふまえて、ニュースレター配信を試みてみようと看板を立てるとき、自分が公に文章を書くときに、その立場や関心や意志がより正確に伝わると考えられるのは、日本語文化圏では「ライター」より「作家」なのかなと判断しました。
「作家」と名乗るとき、本を出したり書いたもので賞をとったりするような人でないと、誰かから「えらそうに」と思われるのではないかと懸念して、避けてきた部分もあるのだけど。
実際、わたしに対して、「わたし」という主語を入れることや、文章に創意工夫を求められてないんだろうなーと判断できる経験、もっと踏み込んだ表現をすると、あなたの考えはどうでもいい・軽視されている、と思われているのだろうなという経験を何度も積んできた。
一方「置かれた場所で咲きなさい」なんて言葉もあるけど、わたしの場合、自分のジェンダーやセクシュアリティなどにおけるマイノリティ性ゆえに、選んだわけではない(選んでもいるのだけど)「置かれた場所」にい続けると、不当な扱いを受けるし傷つき続けることにもなるので、自分で自分を規定しないといけない部分がある。文章を書く仕事をする以前から、ここ10年以内で一般に共有されてきた「トランスジェンダー」とか「(トランスする)ノンバイナリーやジェンダークィア」といった言葉によって今ならある程度イメージできる・しやすい「どういうジェンダーのありようか」みたいなことを、20年以上、プライベートにしろパブリックにしろ自己規定するための言葉を探して、使ってみて、端的な言葉が存在しないからすでに存在する言葉でなんとか説明を試みてきたけど、きっと多くの人たちにとって、この一文も含めて、わかってもらいにくい、迂遠的ですね、という感想に結びつくだけで「何を言おうとしているのか」とまで踏み込んで考えてもらえないという面もあるので、やはり「置かれた場所で咲きなさい」なんて上からの言葉に従えないなと思ってしまう。
もちろん、ある部分では、拾う神あれば捨てる神あり、あれ? 違うよね!? 捨てる神あれば拾う神あり! 評価してくれる、おもしろいと感じてくれる声を「置かれた場所」と認識して、そこに向けて仕事をしていくといいのではという、ファンダム作りという意味では、「置かれた場所で咲きなさい」も飲み込めるのだけど。
自分から自分の仕事がどういうものなのか・何を目指して書いているのかを言い当てていかないと、という理由で名乗りを引き受けることにしてみました(と言っても、ビビリなので、媒体によっては依頼側が「ライター」と書いてきたらそのままにしておくこともあると思います)(しばらく)。
世間一般で「ライター」と名乗られている人の中にも、わたしから見て、とてもクリエイティブな、創意工夫に満ちた仕事をしている人は、時事評論、エッセイ、文化批評などにもいるので、「ライター」と名乗っているから下に見るという意図はないものの、矛盾しますが、どこかでそういう雰囲気が世の中にあって、自分も部分的に内面化している、そういう自己卑下的な部分に抗おうという意図もあります。
そういえば、小説に関する仕事をしている友人に、あるテーマでわたしが公に書く際に、メディアに企画を売り込んだということや、その売り込みの背景には、以前からそのメディアからわたしのジェンダーのありようにおけるマイノリティ性と紐づけての依頼が重なり、つまり書き手としての能力より属性を代表してほしいという意図だと理解できる依頼が続いていたので、不当だと伝えたこともあったものの、関係を悪化させたいわけではないはずなのにお金を出してもらう側に自分の扱いについて苦言を呈すると「扱いにくい」と思われる懸念もあったため、「対立したいわけじゃないんですよ」というメッセージを伝える意図もあっての売り込みだったことを、話題にしたところ、「えらいですね」という褒めと「自分は売り込んだことがない」がセットできて、ひとつのことを全体に広げるのは危ういし、業績・書かれたものへの評価というものもあるだろうと思いつつ、「やっぱり“作家”と“ライター”って扱いが違うんやろな」と感じてしまった経験があった。
わたしが関心を持っているのは、小説、映画、ドラマシリーズ、写真、現代美術、ファッションなど文化・芸術やエンタテインメントや、コーヒーや食べ物などです。
ただし、これまでの執筆仕事も試みてきたことですが、さっきカッコで書いたように、それらの(「浮ついた」と認識され、国政政治に関わる出来事よりも、優先事項のとして低い、下位に置かれていると思われている)アートやエンタメも社会と関わりがあり、政治、経済などとも深く結びついているので、そういった視点からのなにかしらをこの場では書いていこうと思います。
アイディアレベルの内容の共有だったり、過去に、文章でお金を稼ぐようになる前に日記的に書いていたものを手直しして出したり、推敲してない雑文のままだったり(この投稿もわりとそういう感じ)、配信内容についてはまだ不確定ですが。
同時に、まだどういう形式にするかは決めかねていますが、持続的な執筆活動や、そのために必要な勉強やリサーチのために、経済的な支援を求めてもいるので有料コンテンツの配信も考えています。
substackの公開範囲は、
・一般公開(Everyone)
・ニュースレター登録者向け(Free subscribers only)
・有料登録者向け(Paid subscribers only)
に設定できるので、適宜。
ひとまず今日はここまで。
次回は、なんでニュースレターを始めてみようと思ったかということを、持続的な執筆活動の可能性の模索のための助成金獲得への挑戦などと絡めて、書いてみようかな……まだわからんけど。
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