こちらのテキストは、東京の北千住 BUoY2Fカフェスペースで、2023年10月13日(金)行われたトークイベント、クィア・トリップ #0「クィアとして生き延びるための実践としてのトリップ」の記録動画のアーカイブ配信に合わせて執筆したものです。
序盤が少し録画できなかったため、そのとき話した内容に合わせて、当日会場参加・リアルタイム視聴をしてくれた方や、不参加の人にも、話の導入として読めるようなものとして執筆しました。当日話せなかった部分を、さらに書いています。
なお、イベントのアーカイブ動画は、オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』の話題の途中から始まります。
なぜ、今ニューヨークなのか?
わたしはニューヨークの大学に行きたいと思っていた。きっかけは、ジョディ・フォスターがイエール大学に通っていたと知った中学時代に遡る。
アメリカの映画を観るようになったわたしは、アカデミー賞を手がかりに作品選びをしていて、『告発の行方』と『羊たちの沈黙』をきっかけにフォスターのファンになった。14歳でアカデミー助演女優賞の候補にもなった『タクシードライバー』以降、熱狂的なファンを生むほどのハリウッドの名声の功罪のなか、キャリアを見直すために一時活動を休止して大学に進学したのだと、フォスターの評伝で読んだ。その後、他にもメリル・ストリープやシガニー・ウィーバーも同大学出身とも知った。
進学校に通っていたわたしは、同級生らがなぜ大学に行くのか、なぜ学ぶのかがわからないなかで、俳優や映画監督など芸術・エンタテインメントといった華やかな仕事で表舞台に立つ人でも、大学で学び、その学びを活かせる道があるのかとハッとした。ロールモデルを見つけた思いで、触発された。高校生のときに読んだ、フォスターはもちろん、自分と同世代のクレア・デインズ、アンナ・パキン、ナタリー・ポートマン、クリスティーナ・リッチら子役として有名になった人々が、演じたキャラクターのイメージーー庇護される子ども、性的に早熟な女の子、清純な少女ーーといった、若い女性への、年齢も含めたジェンダー規範による過剰な期待から、いかに抜け出て「大人の俳優」になるかという困難についての、映画雑誌「PREMIERE 日本版」での特集にも刺激を受けた。それで、好きな映画監督のミロス・フォアマンが教鞭を取っていたという、コロンビア大学に進学したいと考えるようになった。
ただ当時、将来への希望と共にジェンダーの葛藤を抱えていたわたしは、自分のような存在を、スクリーンのなかにも、映画雑誌で報じられる映画監督や脚本家といったスタッフのたかにも見つけられなかった。日本のテレビ番組では、出生時に割り当てられたジェンダーが男性である人々は、嘲笑の対象になったり過剰な美を期待されたりといった、キワモノ扱いされているように見えて、馴染めなかった。それで、自分には映画の仕事をするような生き方は難しいのではないかということと、自分のような人間が生きていけるスペースがあるのか不安を抱いたことから、ニューヨークでの大学進学を断念したのだった。
10年ほど前から、思いがけないめぐりあわせで、わたしは執筆仕事をするようになった。そして、中退した東京の大学で学んでいたジェンダー学を通した、映画評や書評を書きはじめた。好きでふれてきた文化・芸術やエンタテインメントの領域において、ジェンダーやセクシュアリティの視点を意識した、創作、評論、報道といったものが足りないと感じるようになった。
ここ5年ほどのあいだ、わたしが関心を持つようになったのは、アフリカ系アメリカ人などブラックの人々による/のための、教育や福祉、文化・芸術などのコミュニティだった。非規範的なジェンダーやセクシュアリティの視点だけでなく、就学・就労機会、民族性や国家といったルーツ、経済性、健常性、出身階層などさまざまな属性に基づく不均衡を問題にし、差別や偏見に対抗しながら、制度や社会インフラなどの権利を獲得する社会運動も続けてきたコミュニティ。そこでのマイノリティを支える福祉や教育といったコミュニティ作りのあいだには、さらに、コミュニティを活気づけるヒップホップやR&B、映画、現代美術などのカルチャーや娯楽を生み、既存のマジョリティ中心の価値基準を問い直す営みから学ぶことが多かった。
文芸誌への掲載はまだだったが、新人賞への応募をくりかえしていた小説の執筆にしろ、小説、映画、現代美術などの批評エッセイにしろ、シスジェンダーで二元の男女を当たり前(シスノーマティブ)とする価値観が強固な社会の言語構造に挑戦するような書き方を、わたしは探していた。日本では足りない、見当たらない、と思っていた営みにSNS、日本語訳された映画や本、音楽を通してふれ、わたしは鼓舞された。
同じころから、それとは別にわたしは、物書き向けの助成金や、ライター・イン・レジデンスという滞在制作・リサーチのプログラムを探すようになっていた。きっかけは、2018年にドイツ・ケルンで行われた文学のイベント「Poetica」だった。
その年のキュレーターが多和田葉子さんだったからという理由もあったが、それだけでなく、書き方や文体のヒントがあるのではないかと、藁にもすがるような思いで足を運んだのだった。約1週間のあいだ行われた、さまざまな国から招聘された詩人、翻訳家、作家らによるトークやレクチャーを聞くうちに、助成金やレジデンスの存在を知ったからだった。ただ、日本語で検索をしても、現代美術や音楽、映画といった分野で活動する人たちへの助成はあっても、文章を書く人たちに対するものはほとんど見つからなかった。
Poeticaでは、招聘された作家のモニク・トゥルンを知った。ベトナム系アメリカ人のモニクは、1970年代に6歳でベトナム戦争の難民として、アメリカに移住した。
モニクの小説『ブック・オブ・ソルト』(小林富久子 訳、彩流社)を帰国後に読んだ。1920年代にベトナムからフランス・パリに移り、ガートルード・スタインとそのパートナーのアリス・B・トクラスの家で料理人をつとめるビンの視点から描かれる『ブック・オブ・ソルト』には、女性同士の家族という点だけでなく、クィアとしてのビンの手ざわりに、料理や身体感覚の描写を通してふれられる刺激的な作品だった。
それからわたしは、ベトナム戦争の難民としてアメリカに移住した人々をはじめとする、アジア系のコミュニティとそこから生まれる文化・芸術にも関心を持つようになった。
その後、モニクに続いて、『シンパサイザー』(上下巻、上岡伸雄 訳、早川書房)でピュリッツァー賞など受賞したヴィエト・タン・ウェンや、詩集「Night Sky with Exit Wounds」(未邦訳)や小説『地上で僕らはつかの間きらめく』(木原善彦 訳、新潮社)のオーシャン・ヴオンらベトナム系アメリカ人の作家を知っていった。特にヴオンからは、アメリカに侵略されたベトナムからの難民として、侵略国の言語である英語を学びながら、その言葉を話せない母と祖母をサポートし、白人男性を規範的男性とするアメリカ社会ではアジア系男性として劣位に置かれ、さらにクィアであるという複合的なマイノリティとしての実存を表現する試みを通して、さまざまな示唆を得た。
ヴオンの自伝的な小説『地上で僕らはつかの間きらめく』は、作中で語り手から「クィア」という単語は出てくるものの、一度も「ゲイ」と名乗られてはいなかった。しかし、邦訳への日本でのいくつかの書評を見ると、「ゲイ」と紹介されていたことに、わたしは違和感を持った。そのように矮小化できるような小説ではない、ということをわたしは「新潮」2022年1月号に寄せた書評で書いた。
そのヴオンは、2022年からニューヨーク大学のクリエイティブ・ライティングのコースで、教員になった。モニクもニューヨークのブルックリンに住んでいる。ニューヨークのハーレムで生まれ、同性愛を公表していたジェームズ・ボールドウィンからも執筆の示唆を得ていたわたしは、ヴオンもそうだと知って、改めてニューヨークへの関心が高まった。
アメリカに住むアジア系の作家たちのコミュニティには、ブラックの人々よりもさらに、自分に近く、執筆をし続ける上でのヒントがあるのかもしれない。移民や難民としてのアジア系の女性や男性という、ジェンダーと民族・国家といったルーツの関係性や、クィアネスといった、さまざまなマイノリティ性の折り重なる地点を、言語や芸術によって描き出そうとしている、と考えた。またブラック・アメリカンの人々や、そのなかのクィアな人々と同様に、自分たちの受けてきた/いる差別や暴力、向けれらてきた/いる偏見やステレオタイプからかろうじて逃れられる、セーファー(より安全)な場所をアジア系のクィアな人々、とりわけトランスなどジェンダーのマイノリティの人々によって作られているのではないか? すべて自分と同じでなくても、自分と同じ国や時代に住んでいなくて、同じ言語で話さなくても、どこか何かが重なる部分のある人たちから、ヒントを得たい。
このような関心や文化・芸術の営みは、日本においては政治やコミュニティ作りにも足りないと思い、わたしはニューヨークに行ってみたいと考えるようになった。
そこで、現代美術の批評やコミュニティ作り・文化交流といった枠組みや、数少ない物書き向けの助成金に何度か申請したが通らず、英語で探すほうが可能性があるのではないか、と思った。2022年の春に邦訳が出版された『かくも甘き果実』(吉田恭子 訳、集英社)を読んだ際に、モニク・トゥルンが原著を執筆した何年間かのあいだ、いくつかの助成金のサポートを受けていたことを知ったり、2022年6月にニューヨークに初めて行った際に観た、イザベル・サンドバルというフィリピンからの移民でトランスジェンダーの女性の映画監督による長編映画『リングワ・フランカ』(同作とサンドバルについては、me and youでの連載で執筆)のエンディングクレジットで助成団体の名前を発見したりしたことから、日本以外の可能性を探すというアイディアが浮かんだからだった。
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