6月のニューヨーク
またあっという間に(そんなわけなくて、「あっ」以上の言葉を話したり読んだり書いたりしている間なのだが)1週間が過ぎていた。
Twitterには軽く書いたことについて。
4月の終わり、トランスジェンダーのキャラクターや、トランスやノンバイナリーの俳優が登場するある映画を観に行く前に、飲食店に立ち寄ったときだった。その店は、15年ほど前にわたしが半年ほどアルバイトをしていた店だった。
先に入店していた友達に合流したわたしは、5メートルほど斜め向かいにある席にいるグループのひとりが知人だと気づいた。11年前から、コロナ禍の2021年を除いて少なくとも1年に1回は訪れているタイ・バンコクの、日本人駐在員の多い街と日本人滞在者や旅行客が訪れる歓楽街にあるカラオケバーのスタッフだった。ラッパーであるその人は、移住先のバンコクから数年前に日本に帰国したようで、最近は自身のYouTubeチャンネルでMV以外にもトーク番組のようなものを配信していた。ちょうど3月「LGBT」をテーマに、2年ほど前からトランスジェンダーに関するデマや排除的な言説をばら撒き続けている、トランスフォーブとしか言いようのないラッパーを招いたばかりだった。
(デマという言葉を使うと、それはなぜデマなのかという説明を求められるけれど、トランスというある特定の属性/一面を持つ人々に対する嫌悪的な感情や、利用者としてそもそも想定されていない、生活基盤に関わる制度、機関、施設、サービスへの包摂の取り組みを否定するような言説(排除的な言説)を煽るために、調査報道において事実とは認められない流言を使うような人々に、それをいちいち説明しても届かないと思う。関心がある人は、トランスの人々をターゲットにした意図的に作られた誤った情報に関するこちらの記事やトランスの人々への嫌悪感情の煽動・排除的なレトリックを解説したこちらの記事を参照してみてほしい。もちろん、仮にある属性を持つ人がおかしたミスや過失が事実だとしても、その特定の個人と同じ属性を持つ人々全体の責任とするような言説を広めることは、特定集団に対する嫌悪感情や偏見といったネガティブなイメージの助長になる;とかって教科書みたいなことを書かなければいけないのも、しんどさを加速させているんですけどね)
嫌な予感がする、と思っていたら、すぐに、そのトランスフォーブな発信をしているラッパーが入ってきた。
それから2週間前に、わたしの住んでいる東京の某区にある、10年ほど前に知り合った出版業界の友人に連れて行ってもらってからたまに寄っていた店で、ふたつほどテーブルをはさんだ席にいる男性と女性(と見える)二人組が「女性のスポーツに……」とか「歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレって……」という話をしていた。
もちろん、ふたりは「差別は良くないけど、区別は必要」ということと、「LGBT法案が通ると」というお決まりのレトリックを踏襲していた。
メディア関係者がよくいるという印象の、深夜から朝も営業している、卵かけごはんのある店、と言ったらたぶんわかる人にはわかると思う。その二人も、会話の内容からして広告系〜デザイン系の仕事をしているように見えた。わたしの目には、ごく普通の業界にいそうな人たち、というふうにうつった。
そして昨日、日比谷で映画を観る前に、有楽町の交通会館の前に出しているキッチンカーのコーヒー屋でパンを買おうと歩いていたら、遠くから何かが聞こえてきた。その音を辿っていると、「男性が女子トイレや女性用の更衣室、女性用のお風呂に入ってこれる、そういった法案が国会に提出されたのです」と言っていた。有楽町マリオンのそばまでくると、ルーフ側面に「LGBT法案 女子トイレ廃止反対」!」と書かれた看板を貼り付けた、スピーカー搭載の車があった。そばで、日傘をさしてマイクを握った、白いノースリーブに白いスカートをあわせたショートカットの女性がスピーチしていたのだった。
その後、マリオンのそばを歩くと、10数人がビラ配りをしていた。その女性に代わって男性がスピーチを始めた。いわく「法案が通ると女子トイレがなくなります」「性加害がまちがいなく増える」「女子の被害が特に増える」「“差別はいけない”という考えが行き過ぎてしまったため」ということだった。
もちろんこれらはすべて曲解したデマで現実離れしている。もう5年以上、「人口の0.数%と言われているトランスの人たちはそれぞれ、法制度の有無にかかわらず、学校や職場など自分の所属するコミュニティで、一般的とされる身体、容姿からはずれると怪しまれたり問われたりしてきた/している人たちが生活のために、交渉したり、ときに現状と折り合いをつけたり、誰かに相談して助力を得たりして生き延びようとしてきた/している」と訴えられてきた。2年前の理解増進法案の時点はもちろん、それより前からずっと。だけど、シスジェンダーを中心とする一般社会はもちろん、「LGBT」の看板を掲げて運動をしてきた人たちが、その訴えをもとに堅実な対抗言説を貼ったり、啓蒙や教育を促したりしてきたという話を、わたしは全然聞いたことがない。
しばらくその街宣を聞いた後、映画館に向かった。それで、マリオンから日比谷方面にもまだ人がいくらかいて、ビラを渡そうとする何人もに声をかけられた。この人たちは何を見ているんだろう? と思った。参加している人たちはみんな、どこにでもいそうな人だった。
メディア関係の友達に街宣について連絡したら、そのスピーチをしているのはFという人ではないですかと返事があって、国会前でその街宣を見かけたので記録のために録画したと言っていた。
先述のラッパーの件のときも、特にメディア関係者を含めた周りに相談したけれど、真に受けてくれる人は片手で数えるほどだった。そのラッパーの影響で、極右の宗教保守的で、トランプ支持者的な考えからトランスジェンダーはもちろん、さまざまな陰謀論的な言説も発信している、アメリカ在住という数万人のフォロワーを持つブロガーに目をつけられ、「鈴木みのりは○○や××や△▽を洗脳している」というデマをばら撒かれて怖かった。
トランス嫌悪・排除的な言説については、数年前までわたしの周りの人からも「ネット空間で発信をしているおかしな人たち」というニュアンスの話をされて、「だから大したことないよ」と言いたいのだろうと感じていたけれど、現実に侵食している段階をとっくに超えていると思う。
10年ほど前に知り合った、バンコクにもいっしょに行ったことのある友達(と今言っていいのかわからなくなってる)が、当時からそのブロガーをフォローしていて、先日うっかりその友達のアカウントを見たら、いいね欄には卵かけごはんを出す店や有楽町マリオン前の街宣で聞いたような言説が、たくさん並んでいた。わたしは、その人になんて声をかけていいかわからない。個人の身の安全のためには離れるのが得策なのだろうけど、離れたところで、人口0.数%の属性を持つ身として、そういう考えの人はどんどん増えていくだろう社会に抗ったり改善するために働きかけたりする必要もあるんじゃないかとも思う。
相談相手がいないと感じていた。怖いから、その対策についていっしょに考えてくれないかと相談した人から、「書くしかないよ」と言われ(そうやって見返せというニュアンスを感じた)、いや、そもそも仕事をするための基本的な安全の相談をしているのだから、まず一般化をやめてほしいと伝えると、「一般化って言うけど、自分だって子どもが生まれて生活にいっぱいいっぱいで」という話をされたこともあった。
それから数ヶ月のあいだ、今もときどき、わたしに対する誹謗中傷を目にして、とにかくしんどかった。トランスに関する話をするのは難しい、と感じて、メディアで直接的な政治に関する話題以外であっても、なるべく言及しないように努めた。
そもそも、政治的なイシューを報じたり、マイノリティの人権について訴えたりするために文章を書く仕事をしはじめたわけではないけれど、自分の生存/生活にも関わるために得た知識や経験を通してそういった仕事も引き受けたこともあった。けど、それを避けるようになると、メディアから声がかかる機会もなくなったように感じられた。実際、書き手としてのわたしに対してではなく、「トランスだから」という理由で仕事を頼んだと直接言われたこともあった。
6月からニューヨークで長めに滞在することにした。
去年文化庁の助成に申請したけど落ちたため、もともとの目的だった、トランスジェンダーや、(特にトランスした)ノンバイナリー、ジェンダークィア、ジェンダーノンコンファーミングである人々の、直接的な意味での政治に関してではない、トランスである個人の生活経験や実態やアイデンティティについて語る言語実践や、文化表現について学びたい、リサーチしたいと思ってのことだった。
文化庁助成の申請が通っていたら受け入れてくれることになっていた写真のNPO団体マグナム・ファウンデーションに、イメージの文化・芸術をめぐって、社会的に脆弱な民族/地域的ルーツ、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、障害などのハンデを負う人々を対象としたライティングの教育プログラムについて、今は相談をしている。ジャーナリズム、批評、オーラルヒストリーの聞き取り、アーカイヴ調査へのアドバイス、写真や映像作品などの考察、テーマや作家の狙いの読解、批判的な鑑賞といったリテラシーを基礎とする執筆の訓練が必要と感じているから。
他にも、アジア系アメリカ人のライターのワークショップや、現在マイノリティである作家やアーティストとして活動する人たちへのインタビューやコミュニケーションも試みようと思っている。
また、物理的に隣にいるだろう、差別的な言説や、何かの大義名分のために特定の人々を包摂することを後回しにしても良しとするような排除的な言説に傾いている人や、偏見に染まっている人
に話したり、そういった人が周りにいる人に助けを求めたりする言葉や方法も必要だと感じている。
アメリカのブラック・フェミニズムや、ブラック・クィアのフェミニズムのコミュニティが、そういう知見を持っているのではないかと期待して、そういった人々と文化・芸術の接点の深いだろうニューヨークに行くのが良いのではと考えた。
ただ、とにかくお金がない。
今回は友達がアパートを貸してくれるなど助け舟を出してくれたから決断したけれど、往路のチケットを取ってから、復路のチケット代が円安の影響で高くなっているのを見て、本当に無事に帰ってこられるか不安が拭えない。貯金がほぼない状況でこんなことしていていいのかとも考えてしまう。
なので、寄付を募ろうか考えた。ひとり数千〜5000円程度×50人で10万〜25万円程度にはなるから、飛行機代はまかなえるんじゃないかと。ただ、クラファンでリターンを用意して、プラットフォームに申請して許可が降りるのを待って、というプロセスをふむ力もないので、PayPalの個人送金でお願いするのはどうか、など……。
その場合、自分が生き延びる道のために行くのが目的だけど、成果というか学んだり経験したりしたものを、帰国した後に日本に還元するための報告会やワークショップなどを開いて、寄付をしてくれる人は招待するというアイディアもある。滞在中は、ニュースレターで何か経験についても書くと思う。
まだアイディア段階だけど、もし前向きに考えてもいいよという人がいれば、参考にしたいので記事に♡を押してくれると助かります。
募集する場合、あらためてニュースレターを書こうと思う。
寄付でなくても、1ヶ月からでもこのニュースレターの有料購読に切り替えてもらっても、滞在の助けになるし、寄付を募った場合に両方ともというのもうれしいです。
以下は有料の読者向けに、寄付を募る場合のざっくりとした予算について書きます。
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