「自分の価値がわからないようなコドモのままじゃいられない」と宇多田ヒカルは歌ったけど
有料の読者向けの部分はかなり少なくして書いてきたけど、有料の人にしか読めない記事も作ってみようかなと、午後、少し時間ができたので書いている。
ニューヨークは6月30日の16時過ぎ。今日は、3週間前のカナダの火事の影響で大気汚染の数値が良くなくて、わたしの使っている「IQ Air」というアプリでは「健康に良くない」という注意レベルになっている。このアプリだと4番目のレベルで、現在の指数をあと40ほど超えると「極めて健康に良くない」になって、さらにいくと「危険」。カナダではまだまだ森林火災が続いている様子で、気候変動の影響の大きさに、途方もない気持ちになっている。
あと、今日は本当はクイーンズ美術館に行くつもりだったのだけど、13時に出かけようとしたところ、片道1時間、夕方の約束の時間から逆算すると30分しかいられないとわかって諦めたのもあった。
ブッシュウィックのコーヒー屋「SEY COFFEE」には行ってきた。
ここ2週間ほどで、ニューヨーク大学、ニューヨーク市立大学(CUNY; City University of New York)のハンター校、それからCUNYのブルックリン・カレッジに行った。
NYUとブルックリン・カレッジのキャンパスツアーに参加したところ、もちろん一部のみしか見てないし参加者は15〜20人程度なので全体化できないのだけど、参加者が、前者は見た目からして明らかに十代の高校生くらいの年代が中心+保護者で、肌の色は白人や東アジア系がほとんどで、後者はヒスパニックやブラックやブラウンの人ばかりで東アジア系で、年齢層は10代と思われる人は二人だけで、あとは20代以上に見え、関心を持っている層の差を感じた。
ブルックリン・カレッジのツアーでは、学内に子どもを見てくれるサービスがあり、そのことについて参加者から「何歳までの子どもを見てくれるのか?」という質問があった。日本だと、「高校を卒業したら就職するか大学に行くか、後者の場合、4年ほど通ったらそのあと大学院に行くか就職するか」といった、決まったコースがほとんどというのは、ほぼまちがいないと思う。ブルックリン・カレッジはニューヨーク市にあって、都市部だし、「アメリカでは、」とまとめられないとは思うが、それでも、ライフコースの選択肢の幅や可能性は日本とは異なるんじゃないか、ということは言えると思う。
わたしは、2020年に大学の通信課程への入学を考えたことがあった。
かつてわたしは明治学院大学にいた。
入学してすぐに、トランスジェンダー(かつ、当時はそういうアイデンティティの名前を知らなかったのでそうとは自覚してはなかったけど、その時期からそういう面があった、ジェンダークィア)であるわたしは(最近、その属性とその属性と結びつけられた政治性によって、あらゆる場面で個人としてではなく属性として扱われる機会もかなり多く、こう名乗るのが本当に嫌で、ニュースレターでも書くのを避けるようになっていた。)、学生生活での困難に直面した。
中学の頃から「男/女」の性別でわけられた体育の授業を取ることに抵抗があったように(水泳だけはどうしても無理だったが、わたしの通っていた学校にはプールがなく、年に一度の学外プールでの授業だけだったため、休むのはやや気楽だった)、そういった単位を大学で取るのは避けたし(健康のためではないジェンダー化された競技系の授業については義務教育から選択制ならいいのにね)、運動系のサークルも選択肢にあがらなかったし、トイレに入るところを見られたくなくて人気の少ない高層階にいちいち行った。戸籍という紙上のステータスを反映した学籍によって学校生活はもちろん大変だったけど、さらに、(今はどうかわからないけど、少なくとも当時はそうだった)、銀行口座開設、レンタルDVDなどの会員証作成といった、学生証というIDをもとにした日常の必需サービスも満足に利用できず、気晴らしやアルバイトの選択肢が限られたのもつらかった。
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