今日選んだアミダくじの線がどこに続くか
3月から日本ではないある国に短期間でも住めないかと、名目を語学留学として、語学学校への入学の準備をしている。昨年の秋から、学校や住む場所について調べ、学費を貯金してきた。
ただ、3ヶ月という短い期間だからこそ、(ひとまずの期間で、後に延長するかもしれないものの)そのための物件探しが、まずとてもたいへんだと感じる。
昨年9月に用事があってその国に行った際に、オンラインの民泊仲介サイトを通して、立地、個室の広さ、これは必須の条件ではないものの、部屋・生活のセンスがとても良いシェアハウスを見つけたが、「女性限定」と書かれてあった。わたしは戸籍上「女性」だが、トランスジェンダーでジェンダークィアであるため、果たしてそれがホストの提示する条件と適合するのか不安があり、問い合わせをした。その際に、自分のジェンダーに関する自己開示もしたところ、やはり「身体の状態」を尋ねられた。
一般的に、トランスの人に限らず、プライベートスペースを共有するわけでない場合、身体含めて利用者のプライバシーを共有する必要はないはずという「人権的な要求」は妥当だと、わたしも思う。ただ一方で現実的に、わたし含め多くの人たちは「その人の身体・見た目」からさまざまな情報を受け取り、ジェンダーを含めたパーソナリティを、「何者であるか?」を推測してしまう。
今回のケースのような、ホストの持っている物件を利用するにあたっては、貸す側も借りる側も、相手が自分にとって望ましいと思うパーソナリティや生活実態をどうか、貸す/借りるのに妥当かどうかを判断する。そこで、ジェンダーはひとつの大きな要素になりうるというのは、許容できるかどうかは別として、理解はできる。
もちろん、そのような考え方は「シスジェンダー中心主義」として批判可能だけど、わたしにとっては、自分の個別の生活のためには、そうした条件を課す人に対して、「あなたが問うていることは差別的であり(差別とは断定できないけれど)、わたしが共有した情報で判断していただきたい」とか「“女性限定”とするのは、“女性”のなかにも、“きれいに部屋を使う人”もいればそうじゃない人もいるから、ジェンダーで区切るのは差別です」とか、要求するのは過度ではないかと思う。
さまざまな逡巡を経てホストとやりとりをした結果、「日本には戸籍上の性別と身体の性別は一致するような制度になっている」という、婉曲的な説明をし、シェアハウスの一室を数日借りられることになった。実際会った際に、ホストの姉妹はとても良い人で、その部屋はとても便利な立地にあり、サイトに掲載されていた写真どおりセンスの良い家具が置かれていて、とてもきれいで(フローリングシートが貼られていたのでおそらく古い物件だろう)、好きだと思った。ホスト姉妹のうち姉のほうは、インテリアデザイナーだった。
そこを借りた理由は、語学留学するとなった際に、最も家賃を抑えられる選択肢のひとつがシェアハウスだったからだ。見知らぬ誰かと数日でもいっしょに住居を共有する経験を積むことで、現実的に、数ヶ月のあいだ過ごせる可能性があるか、確かめたかったのだった。
それで、10月以降に同国の日本語の不動産屋に問い合わせ、シェアハウスの物件について尋ねてみた。日本語、英語、同国の言語で、希望の立地のシェアハウスがないか検索してみたところ、ほとんどが「男性/女性専用」で区切られており、そうではない物件は年齢で「40歳未満」とされていた。それで、年齢制限はないが、家賃、立地、住居空間は使い勝手が良さそうかどうか、インテリアのセンス、など優先順位をつけて絞り込んだ、「女性専用」のシェアハウスについて、不動産に尋ねたのだった。しかし、その際にもわたしのジェンダーのありようについて共有したにもかかわらず、その点にはほとんどふれず、いわゆる「ビジネストーク」な内容しか送られてこなかった。これでは仮に借りられたとしても、同居人にトランス嫌悪的な感情を持つ人がいた場合、自力で対応しなければならなくなる可能性が高いのではないか、相談相手として適切ではないのかもしれない、と考えて、不動産を通じてシェアハウスを借りるという選択肢に消極的になった。
そこで次は、同国の言語オンリーだが、短期滞在も含めた物件検索アプリを見つけたので、それを使って検索をするようになった。留学を希望している国・都市に住む友人から、東京と同じく、特に若い人たちが住む場所に困っているという状況があり、良い物件は募集が始まるとすぐに埋まるという話を聞いていた。実際アプリでは、希望の立地の物件は、良い条件だと数日で消えていった。
合わせて、YouTubeやブログなどで見つけた、日本から同都市に短期移住した人たちの経験談、部屋事情を探した。そのなかで、居住空間と仕事空間を共有する施設が少しずつできていると知り、その物件にあたりをつけるようになった。
それらの物件は12月頭に見学する機会を持てた。そこで、シェアハウスよりかなり割高(ワンルームのアパートの選択肢も含め、予算より4〜5万オーバー)だが、希望する立地にあり、常に窓口にスタッフがいてさまざまな相談ができ、アメニティ類や光熱費・通信費など込みということがわかり、共有の仕事空間などの施設がかなり充実していたため、そこにしようと考えた。ワンルームのアパートを借りた場合、短期滞在ののための家具の準備や、ティッシュや食器類など日用雑貨の準備、光熱費・通信費など別途支払いや、不動産会社に支払う仲介費もかかる。これらを考慮すると、実際の部屋に対する「賃料」は予算より2〜3万円ほどしか超えないのではないか。そう考えると、前向きに思えたのだった。
それでも高いと思うものの、現地の友達から聞いた、政治思想含めたその地域の住民の傾向も考慮すると、安全面での保障が比較的あると言えるし、その点から施設に住む現地の人たちとの交流が、何かのヒントやこの先の良い人間関係に発展する可能性もあるかも知れない、とも考えた。またその都市に住むクィアな人たちから聞いた話で、その施設の近辺は、実は現地で長年レズビアンのフェミニストたちがコミュニティを作ってきた地域だともわかった。
ただ、やはり自分には無理なのではないか、高望みなのではないか、やるべきではないという示唆なのではないかというネガティブな思考に絡め取られやすい時期が数ヶ月続いていた。だから、周囲の人たち、特に、自分と同じようなジェンダーのありようで、そのほかもいくつかの属性・社会的な立場において、同質的ではない人たちから、応援の気持ちで「良い滞在になりますように」とか「行っちゃえばなんとかなるよ」とか声をかけられるたびに、行くためのプロセスで苦しんでいること、困っていること、そこで揺れる感情や未来への不安は共有できない、言語化しにくい、という歯がゆさがあった。
近々の記憶なのでより明確ということもあるのだが、20日ほど前まで、かなり気が滅入っていた。
(続く)
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