いぶかしげなわたしはまだ考えている途中
12月のクリスマス前後から、進学を希望していた大学付きの語学学校の応募要項を、改めて調べた。その国の、と書いて、前回のように「どこに行くのか」を明示せず、遠回りに書く必要があるのか? はっきり書いたほうが読者の“納得”が得られるのではないかと考え、まだ逡巡があるものの書くと、行こうとしているのは韓国・ソウルだ。韓国には「語学堂」という大学付きの語学学校があり、だいたい約3ヶ月ごとに学期がある。志望していた学校は1月23日が応募締め切りだったため、1ヶ月で準備しようと考えたのだった。
必要な書類は申請書、パスポートのコピー、最終学歴の卒業証明書または卒業証書だった。
話は飛ぶ。
2015年くらいから「調べ物をし、勉強し、過去を参照しながら執筆する」という作業を仕事でやってきた一方で、高等教育を受け、大学の学士以上の学位を持っている人や、民間の専門機関や高等教育機関に勤めている人の話は、同じようなことを言っていても「価値がある」「信頼がおける」とメディア(依頼側)から見なされやすいという状況への不満を抱くようになった。それで、4年前の夏に、どうせコロナ禍で人と会わないし、通信で大学に通おうかなと考えたことがあった。
わたしは明治学院大学を中退していた。応募要項によると、通信教育課程でも、中退した大学で取得した単位が適用されて卒業までが短縮される可能性があるということなので、在学期間証明と成績証明を取り寄せた。通信課への編入が可能な規定の単位にあたる、卒業に必要な単位数の半分すら超えていなかった。わたしは在籍時いったい何をやっていたんだ……と自分の人生に自信をなくしそうになった。
当時を振り返って、戸籍という制度(つまりは家父長制、イエ制度)に依拠し、ジェンダー化された学内インフラ・制度・コミュニケーションから、いかに排除されてきたのかということを、改めて思い知らされた。あのころのわたしは、戸籍と紐づけられた制度や習慣に、授業を受ける前の段階でつまづいていた。
ちょうど、今から1週間ほど前に、東京大学が「東京大学における 性的指向と性自認の多様性に関する 学生のための行動ガイドライン」を発表していた。そのうち「大学生活上で直面する典型的な障害の例」から一部引用すると、まさに
・名簿掲載名から性別を推測したグループ分けをしたり、「男子」「女子」としての発 言や行動を期待したり、あるいは要求したりする。
・名簿あるいは外見から推測される性別に従って呼称の使い分けをする(「〜さん」 「〜くん」の使い分け)。
こういった習慣から、授業を受けることすらためらわれた経験がよみがえる。少人数のクラスでは教員にプライバシーを打ち明けて相談するが、社会一般でも、わたし自身も、今以上にジェンダーやセクシュアリティに関する語彙、参照情報、書籍が乏しかったので「伝わらない」という実感ばかりが積み重なり、学校になかなか行けなかった。一年次からまずそうした状況を改善するために学校側に働きかけていて、そういった対応で頼りにできる友人や仲間もできず、単位も取れなくて中退したのだった。
そもそも大学受験前の願書提出時から、「性別」欄が不記載だと受理すらされないのか? とか、当時時点で通称扱いになっている名前で受験および入学の際は学籍としてしようできないか? とか、明学含め願書を出した数校に問い合わせしていたな、などなど書き起こししていたら、泣けてしょうがない(でも、同世代で同じような立場でも少数ながら大学卒業どころか修士・博士号もとった人もいるので単純に能力の差とか、要領の良さみたいなものもあるのかな、と判断を保留していますが)。
それで、ストレートに通信の普通課程に入学しようかと必要書類を要項を確認すると、大学中退の場合、高等学校卒業証明などが必要と書かれてあった。大学の在籍証明が出ているということは、入学している=それに相当する学歴を前提とした書類なのだから、その提出ではだめなの? という疑問が浮かんだ。「募集要項に書いてるだろうが、それ以外を許容するなら注釈で書くだろうよ、読んでるとおりに手続きしろや」と思われたらどうしよう、とビビりながら、その大学の通信課程事務に問い合わせの連絡をしたところ、やはり高等学校卒業証明や高卒認定の提出を求められた。
しかたなく、書類取り寄せのために卒業した高校のホームページを見てみたら、学校教育法施行規則第28条第2項ににより、保存期間が定められていて、「単位修得証明書の発行は卒業後20年間」と書かれてあった。わたしは2000年3月卒業のため、その書類は取れない(後でわかったが、卒業証明は発行できるのだった)。いろんな事務手続きの煩雑さ、時間の区切りによる足切りについて考えているうちに、 呆然とした。しばらくしてから、なんとかならないかと目を皿のようにして情報を見たところ、単位取得証明書の不発行証明書を取ればいい、とわかった。とりあえず、一筆箋にごあいさつ書くなどした(こういうことやらなきゃ失礼にあたるのではと事務的になれない世間体的な何かを気にする性格の構築……)。
さらにそのタイミングで、高校在籍時はまだ戸籍上の名前が変えられておらず(周囲と相談して現在の名前は使っており、ひとりで家庭裁判所に赴いて改名手続きの相談もしたが、「未成年だから(揺らぎがある)」「先行事例がない」などの理由で、法的な変更が認められていなかった)、戸籍抄本を取り寄せて「名前が異なる」を証明しないといけないってことじゃないか? と気づいた。戸惑いながら、わたし本籍地どこやっけ? 、高知県やったらそれも郵送で取り寄せせんといかんってことじゃない? と考え、出生・育成地と現在住む場所のあいだの隔たりと「証明書」問題などについて思いをはせて、言葉をコントロールする余裕を失っていった。
本籍地の役所から電話があって、「○○さん(戸籍上の苗字)の独立戸籍には改名の記録は書かれているんですが、どの名前から現在の名前に変わったかについては、除籍前の両親の戸籍にしか載っていないのですが、どうしますか?」という連絡があった。「先行事例がない」問題はさておき、変えられる書類はすべて今の名前にしていたため使用歴も認められ、当時未成年でなくなった20歳になってすぐに戸籍上の名前も変えた。その後、戸籍上の性別も変更されているため、制度上、出生時に割り当てられていた戸籍から除籍され、独立戸籍になっているのだった。そちらに、「除籍理由としての次女に変わった法的な根拠」が書かれているとのことだった。
こうした、ただ出願するだけで、そうした経歴と向き合わざるをえないことや、今回の事例の場合、戸籍上の名前と性別欄が変わったというプライバシーを他者に開示しないといけないことなどを考えていると、気が滅入った。憲法で保障されているはずの就学の権利が、ある特定の人々は、悩んだり煩雑な手続きや電話対応をしたりする必要があり、不当だと思った。こうした諸問題など考えずに、「普通に生きられる、高等教育を受けられる、受ける機会を持てる」というのはそれだけで特権的なことなんだと思う。
ちょうど当時、仕事でシアーシャ・ローナン主演の『ブルックリン』を再度観ていた。未来の選択肢や自律性の獲得のために、知らない土地に移り住むなかで、同じアイルランド出身者やそのコミュニティや、同じジェンダーの女性の年長者たちからアドバイスや愚痴を聞いてもらう機会を得ながら、成長するという物語を、自分の経験と重ねていた。トランスとしての社会生活上の困難な経験は、親や親族や、周囲の友人や先輩を通して共有してもらえる、という機会自体が稀だと思う。現代ではインターネットでなんとかつながれるが、「学校に入る際のティップス(対処法や工夫)」なんてあるのだろうか? 2020年当時はすでに、ツイッター上のトランス排除的な、嫌悪的な言説が溢れ出していたけど、こういったことを考慮すると、SNSに拘泥してしまうトランス当事者に対して、単に「見ないほうがいい」というのは酷で、安心して見られるネット空間が必要だと思っていた。今となっては一刻も早くXから離れましょうね、と思います。
プライバシーの開示と、やらなければならないことが積み重なり、書類をすべて取り寄せたものの、その後いろいろ心労もあって通信課程への進学はやめたのだった。
それと同じような障害が、今また、韓国語の語学堂への入学の準備に際して起きていた。
(続く)
お知らせ
公開が始まった映画『夜明けのすべて』について、監督の三宅唱さんへのインタビューから作った記事が、CINRAに掲載されています。
三宅唱監督『夜明けのすべて』インタビュー。「恋愛」ではない人同士のつながり、ふたりを見守る人々
超いい映画です。劇場で観られる人は、ぜひ劇場の大きなスクリーンで! 何度観てもいろんな発見があると思います。
me and youで始まった対談連載「生きていくの大変じゃないですか?」の2回目が公開されました。アーティストのチョーヒカルさんとの対話を通して綴りました。
チョーヒカルさんと話したい。「生きていくの大変じゃないですか?」2019年からNYに移住。日本に生まれ育ち、国籍は中国というマイノリティ性から考える
(撮影は眞鍋アンナさん)
チョーと知り合ってもう10年以上になりますが、お互いのマイノリティ性をめぐってこんなに話したのは初めてかも。
ニュースレターで告知を忘れていましたが、1回目は能町みね子さんと話しています(撮影は桑島智輝さん)。
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