iPhoneの下部がグリーンに点滅する
先週、使っているiPhone XSの液晶画面がタッチに反応しづらくなった。画面タッチをくり返したりサイドボタンを何度か押したりすると、やっとFace IDが反応するかパスコードを入力できるようになるかという状態だった。何度か落としていて、前面はBelkinの画面保護フィルムをつけていたものの、耐衝撃性のケースでもなかったせいか、背面のカメラ周りにヒビが入っていたし、前面も四隅、特に下部の2点が保護フィルムも割れてきていたのでその影響かなと考えながら、数日使っていた。
わたしはiPhoneにクレジットカード、PASMO、電子マネーも入れているし、コロナ禍以降には東京都内でどんどん増えていて、大阪市、京都市、福岡市、金沢市などで利用したレンタル自転車のアプリ複数を入れていて日常的な交通手段としているため、画面タッチの反応が悪いというのは、基礎的な生活をするうえでかなり不便だと思った。自転車で都内を走る経験については、「群像」2022年2月号に掲載された文章でも、ドラマ『ユーフォリア / EUPHORIA』のジュールズの表象とあわせて、モチーフとして扱っている。
ブラックアウトする自動ロックになるまでの明度が下がる時間に、その割れた部分のある画面下部2センチほどが、明るいグリーンに点滅することが確認された。液晶画面については詳しくないけれど、配電とカラーフィルターになんらかの齟齬が生じているのかなと思った。筐体の基盤を支える手元で発光するグリーン。
それで、格安通信キャリアに乗り換えたほうがいいのではないかということと、新しいiPhoneに買い換えるのはどうかということを考えた。
ネットで調べると、大手キャリアのドコモ、au、ソフトバンクにはそれぞれ通信速度に差があって、また、それぞれにサブブランドのahamo、UQ mobile、Y! mobileがあることなどがわかった。自分が今使ってる大手キャリアのサブや、別キャリアのサブへの乗り換えにまで選択肢を絞った。それから、今の両面割れの状態では下取りで引き取ってはもらえず、リサイクル品として扱われることもわかった。
レンタル自転車を走らせて、店の最寄りのポートに停め、家電量販店まで歩いた。その店のある街に行くときは、この3年で、だいたいそんな感じになった。
このiPhone XSを使って何年経っているのかもわからなかったわたしは、アップルケアに入っているのは確認できたけど、その保障のうえでの修理の場合いくらかかるのか、そしてその修理された機体の場合、新機種購入の際にいくらの下取りになるのかを、まず知りたいと思った。修理したうえの下取り価格より修理代が上回るなら、そのままリサイクルに引き取ってもらったほうがいい。
驚いたのは、今のXSの容量と同じ256GBだと、iPhone 14 Pro Maxの場合は18万円もすること。たぶん10年近く使っている今のMacBook Airと同じくらいの値段。そのMacBook Airもかなりガタがきているのでいつ壊れるかわからないし買い直すとしたら、と調べたら、M2チップ搭載の最新モデルの最安品なら買える値段。歯根が湾曲したり枝分かれしたりする複雑な形状の可能性もある大臼歯だと、保険診療のレントゲンの平面写真ではその汚れ具合や形状がわからない場合もあるため抜くしかないと言われる可能性が高く、それが嫌で、去年、根管精密治療の自由診療で支払った金額もだいたいそのくらいの値段。
日常で使っているものなのに、知らないことが多い。容量のことも、パソコンを動かす仕組みや部位についても、何度聞いても忘れていくのは、その言葉を知らなくても済む生活だから。
2日かけて、家電量販店とアップルストアに行った。
まず修理、というか交換になるのだが、その代金と下取り価格では後者のほうが高いとわかったので交換することにし、さらにアップルでSIMフリーの機体を買う場合にしろ、現在使っているキャリアまたはいずれかのサブブランドに移行する場合に機体を買うにしろ、下取りに出すだけでなく、家電量販店の中古買取に出して実質的に割り引く選択肢もあるとわかった。それから、今使っているXSの容量の半分も使っていないため、128GBで大丈夫だろうということや、持つときの機体の大きさ的には12と13に出ているminiや第3世代のSEがちょうどいいということがわかってきた。
miniの12と13では、画面上部の切り欠き(ノッチ;受話口、フロントカメラ、環境光センサー、近接センサーがある部分)の幅が違うため、同じ5.4インチでも画面サイズが微妙に異なるとわかり、第1世代を使っていたし4.7インチでも事足りそうだし何より安いSE(128GBで69,800円、13 miniは92,800円、その前世代の12 miniはなぜか99,800円)は、しかしホームボタンを押す動作が手間に感じられて、4年以上前と自分の体感が変わっていることにも気づかされた。視覚、触覚、それらと共に手足など他の部位含めた身体を動かす自分の感覚が、通信デバイスの変化と共に変わっていくことに驚かされる。両眉の眉頭のあたりのツボを押すと視界がややすっきりするので、ここ数年よくやるのだけど、これも長年のiPhone利用、さかのぼると20年以上前からのアップル製品利用の影響かもしれない。
去年、愛知県芸術劇場が主催するAAF戯曲賞の審査員を初めて経験した際、下読みのない同賞では応募作すべてに目を通す一次審査のとき、紙で送ってもらったら、文字級数、紙1枚あたりの文字数、一段組か二段組かといった応募者それぞれのフォーマットによって、わたしのなかで生まれる通読速度や紙そのものの重さの体感の差が、読感を左右すると知ってかなり戸惑った。内容だけに集中したいのに。
友達が貸してくれたiPadに切り替えると、重さの差異がなくなった。そして、自分の中に、1枚の紙を通読するうえで想定している速度というものが経験的に備わっていて、つまり、この文字数は1枚の紙に対して少なすぎる/多すぎるという体感があり、さらにその体感とめくる動作のあいだに齟齬がある、特に1枚の紙をめくるには早すぎると感じられる場合に、苛立ちが生まれていたのだけど、それもほぼなくなった。
そのことについては、審査会でも話したし、ここまで細かにではないけれど、審査過程をオープンにするというふれこみの同賞サイト掲載のレポート記録にも残した。
そのデバイスを買えるか買えないかといった経済的な差異が、特定の仕事に就けるかどうか、就いたとしてもその労力に格差が生まれるのではと考えている。同じ「スマホ」という枠組みであっても、どのような形状か、明度か、その機体の処理速度か、金額かによって、わたしたちは、同じような経験をしていても、それぞれ違う世界の体験をしているのだろう。
すでに20年以上アップル社製品を使い続けているわたしの体感や、それらの製品を使っている仕事への影響を考慮して、より安価な別会社の製品や、OSをマイクロソフトに変えるといったことに対して腰が重くなっている。通信キャリアを大手ではない、安価なものに変えることに抵抗があるのも、こういう心理が影響しているのだと思う。
さらに、わたしの場合は自分のあるマイノリティ属性ゆえに、というかその社会的属性と関わりのある、他の属性に対して期待/想定されている身体に関する特徴、特にわたしにとって、自分の声がその期待/想定されているものと異なると他者から認識され、異端視される懸念がまだまだこびりついているがゆえに、コミュニケーションに抵抗があって、誰かに、特に見知らぬ誰かに気軽に自分には知識のない/乏しい何かについて尋ねることをなるべく避けよう避けようとしてしまう傾向がある。
さっき調べたら、部屋に置きっ放しの第1世代のiPhone SEが、4,500円で中古買い取りしてもらえることがわかった。iPhone XSに機種変更した4年前に案内されたとおり、下取り送付しておけば1万円以上のキャッシュバックがあったことも思い出された。かなり自分を正当化するような物言いになるけれど、これも、日常的に他者とコミュニケーションを取ったり、その他者が安全かどうか確認をしようとしたり、そうした不安を抱えながら生活している日々の負荷が影響しているのではないか、とも思う。
時間と労力を費やして考えたり相談したりして比較検討する必要のない、10万円や20万円とまでいかずとも、それなりの値段の生活必需品を買って多少不都合があってもすぐに乗り換えられる程度に金銭的に豊かだったら。
あるいは、比較検討するうえでの情報を得るうえで、頼りになる人間関係があったら。
たらればはあまり前向きではないのでわたしもなるべく避けたいのだけど、自分のあるマイノリティ属性が、金銭稼得の手段としての就労や人間関係構築に影響するというのは、それなりに妥当だと言えるとは思うので、特に慣れないこと、つまり何年かに一回とか10年単位とかでめぐってきたり初めて直面したりするような大きな決断を前にすると、こうでなかったらああでなかったらとどうしても考えてしまう。iPhoneとあわせてMacBook Airも新調しても、安価な通信キャリアに乗り換えれば、今のキャリアに毎月支払っている額程度で2年間のローンも組める。考えたら別に難しいことではなさそうなのに、総額何十万かかるというその数字だけを見ると購入ボタンを押すのがためらわれてしまう。
どこに行っても、誰と出会っても、乗り越えられるという自信や決断力がほしい。変化することに慣れたい。それらは、社会的属性や資本に左右される。
トニ・モリスンは〈黒人社会で生起することがらの半分も英語で描写しうたいあげることができない。現在でも黒人共同体の暮らしには言葉で描写できないことが、定義する言語がないことが多い。社会科学の対象となるべき事象、現象なのにそれを定義できる、適切な用語が存在しないのね。そういう事象、現象は認識されない。偏見のある目には見えない。詩人でも表現しきれないようなこと。新しい言語が生み出される必要がある〉と、〈物語る声〉について、かつて発言していた(藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』、岩波現代文庫)。
こうしてiPhoneの不調をめぐって書いているのも、わたしなりのそれなのかもしれない。
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